A辞書にある言葉を所収する際、なぜその言葉を所収したのか説明できないものだから、編集はただ他の文献から結論部分だけを切り取り、新しい辞書に移し変えるという作業になってしまう。
B辞書にある言葉を所収する際、なぜその言葉を所収したのか説明すべきなのに、編集者の怠慢でいきおい他の文献から結論部分だけを切り取り、新しい辞書に移し変えるという作業になってしまう。
Cより多くの言葉を所収するためには、なぜその言葉を所収したのかの説明を割愛せざるをえず、したがって編集は他の文献から結論部分だけを切り取り、新しい辞書に移し変えるという作業になってしまう。
Dより多くの言葉を所収するためには、なぜその言葉を所収したのかの説明などそもそも不必要であり、編集というものは他の文献から結論部分だけを切り取り、新しい辞書に移し変えるという作業になるのは当然である。
どこの家でもそうだと思うが、母親と言うのはやけに物持ちがよくて、ときどきあっと驚かされることがある。二十年も前のカーディガンを今も着ていたり、三十年も前に使っていたカーテンをいまだに押入れの奥にしまっていたり…中でも自分の子供に関係する類のものは、今や何の役にも立たないと分かっていながら、後生大事にとってある。
むろん、①僕の母親も例外ではない。つい先日も、押入れの奥から驚くべきものを出してきて、僕をあっと言わせた。その時僕は母親と差し向かいで、お茶を飲みながら昔の話に花を咲かせていた。大学時代の僕が、②海のものとも山のものともつかないのに。いつもシコシコ原稿を書いていたという話題になった時、母親は急に何か思いついたような顔をして、「そういえばあなたの……あれは何、カードみたいなものがいっぱいあるけど」ということを言った。何のカードなのか僕自身にも全然分からなかったので、ちょっと見せてくれと頼んだところ、押入れの奥から風呂敷に包んだ五百枚近いカードを出してきたのである。
一目見て、僕はそれが何であるのかを思い出し、驚いた。それは僕が十九歳から二十歳にかけての約一年半、勉強のつもりで記していた日記のようなカードである。③俗に"京大式カード"と呼ばれるもので、裏は真っ白、表には何本かの罫線が引いてあるだけのシンプルなカードである。当時の僕はこれを使って、まず個人的な読書カードを作り始めた。短編小説を一篇読んでは、一枚の京大式カードに読後感を記していたのである。半年もしないうちにカードがかなりの枚数になり、段々面白くなってきたので、今度は自分なりの小説論とか、自分の書いている小説の欠点、あるいは徒然に思うことなどをここに記すようになった。
十数年を経た今、このカードを改めて読んでみると、その勤勉さ、④その暗い情熱には頭が下がるものがある。二十歳の僕が本当に心から、何が何でも小説家になりたいと願っていたことが、よく分かる。
僕は、⑤二十歳の原点に還るべく、再び京大式カードをつけてみようかと考えている。
(原田宗典『買った買った買った』毎日新聞社による)
11①「僕の母親も例外ではない」とはここではどのようなことか。
B僕の母親も押入れの奥から驚くべきものを出してくること
12②「海のものとも山のものともつかない」とはここではどのようなことか。
A筆者が、小説家になるかどうか分からないということ
B筆者が、休みなのにどこにも遊びに行かないということ
Cその原稿が、売れるかどうかも分からないということ
14④「その暗い情熱」とあるが、何に対する情熱か。
15⑤「二十歳の原点に還るべく」とはここではどういうことか。